高野切(こうやぎれ) |
今月から、しばらく高野切のお話をしたいと思います。
初めての臨書が高野切だったという方、多いのではないでしょうか?「こうやきり」や「たかのせつ」と読んでしまった人も中にはいらしたかも?
まずは、そんなことから少しずつ話して参ります。
1.「高野切」の名の由来
古筆には、それぞれ名前がついています。持ち主や発見された場所、料紙の特徴などから、様々な名前が付けられました。
「高野切」の高野は高野山(こうやさん)のこと。この古筆の一部が一時、高野山にあったことから、この名が付けられました。だから、「たかの」ではないのです。
豊臣秀吉が、比叡山をはじめ勢力のあった寺院を焼き討ちなどにしていた時期、高野山文珠院の高僧=木喰応其(もくじきおうご)だけは、秀吉を説き伏せ、焼き討ちを免れました。その時、秀吉から巻9の一部が、高野山にもたらされたと言われています。
尚、「切(きれ)」とは、完本に対して一部しか残っていないものを言います。
2.中身は「古今集」
高野切は「古今集」を書いたものです。関戸本や本阿弥切も同じ古今集を書いていますが、それぞれ時代や料紙、筆者が違います。高野切は3人の人が、古今集20巻を分担して書いていて、それぞれの筆者毎に分けて、高野切第一種、高野切第二種、高野切第三種と呼ばれています。では、高野切は、いったいどのように生まれたのでしょうか。
3.「古今集」の編纂
古今和歌集(古今集)が編纂されたのは、平安時代中期の西暦905年。醍醐天皇の命による勅撰集でした。それまで勅撰集(天皇の命で、選者が詩歌や文章などをえらんで編んだもの)といえば、漢詩文ばかりでしたので、和歌としては初めての勅撰集となりました。
最初の古今集、つまりは紀貫之が清書して醍醐天皇に献上したと言われる古今集20巻(奏覧本)は12世紀頃までに残念ながら焼失してしまったそうですが、古今集編纂以降、多くの能筆家(字のうまい人)が古今集を書写したものが、今日に伝わっています。高野切もその1つです。
4.「高野切」の誕生
高野切は、1049年頃に書かれたと言われており、現存する最古の古今集の写本です。
高野切を書かせたのは、藤原頼道。当時の有力者藤原道長の子で、宇治の平等院を建立したことでも有名です。以後、高野切は、近衛家に代々伝わりますが、時代の流れに、切れ切れになり、一部は紛失し、また、いろいろな人の手に渡り、今に至っています。
5.「伝・・・・筆」の謎
「高野切」には「伝 紀貫之 筆」と書いてありますが、905年に編纂された古今集の選者の1人である紀貫之が、1049年頃に高野切を書くというのは、いくら長生きしたとしてもムリというもの。
今日、古筆に「伝・・・・筆」と書いてあるのは、後の人(江戸時代の古筆家等)がいろいろな理由で筆者とした、いわば伝承筆者であって、本当の筆者ではありません。
最近の研究で本当の筆者が判明した場合は、解説などに「・・・の真筆」または、諸説あって断言しにくい場合などは「・・・・と推定される」などと書かれています。
6.本当の筆者は?
前にも書きましたが「高野切」は3人の能書家が手分けして書いています。
全20巻のうち、現存するものを見てみると
1人目が、巻1、9,20を書き
2人目が、巻2,3,5,8
3人目が、巻18,19、を書いたことがわかっています。
それが、それぞれ第1種、第2種、第3種と呼ばれています。
分担の仕方から、第1種の筆者(巻1と巻20を担当)が一番の責任者で、第3種の筆者が一番若いと見られています。筆者には諸説ありますが、この分担の仕方やそれぞれの書風から、
第1種=藤原行経 第2種=源兼行 第3種=藤原公経 とみられています。
7.どんな紙に書いたの?
料紙は麻紙(まし)。すこし卵色がかっていて、つるつるしています。その上から全体に雲母砂子が蒔かれています。シンプルですが、清楚で上品です。平安貴族達の美意識がこんなところからも垣間見られます。
8.まずは、ながめてみましょう
ところで、あなたの見ている高野切は何ですか?白黒の折本ですか、カラーの印刷物ですか?複製の巻物ですか?本物は見たことありますか?臨書をするなら、私自身の経験から、白黒の写本が便利でおすすめですが、まずは、カラー版で、できれば、長く書かれているものをご覧下さい。最近では、本物も美術館で見られる機会がありますので、是非是非お出かけ下さい。
そして見て感じてほしいのです。「わあ、きれい」と。
高野切を見た多くの人は、美しいと感じるそうです。これこそが、1000年近くも昔に書かれた字を勉強する理由ではないでしょうか。1000年の間にはいろんな時代がありました。貴族文化が終わり、武士の時代になりました。戦いもありました。平和で庶民の文化が花咲いた時代もありました。活字が生まれ、外国語が飛び交う時代もきました。それでも、時代を超えて、「美しい」と私達に感じされる何かがここにある。さあ、その秘密を少しずつ解き明かしてみましょう!
9.きれいな理由
もし、あなたが「わあ、きれい」と感じたならば、次にその理由を考えて下さい。いろんな理由があると思いますが、多くの方がお感じになるのは次のようなことだと思います。
・墨の潤渇(墨がたくさんついているところと、かすれているところ)が、きれい。
・紙がきれい。
・字が続いていて、その流れがきれい。
でも、実はこれは、他の多くの古筆にも当てはまるで、このことが私達に数々の古筆を学ばせる原動力になっているのです。では次に高野切の特徴をみてみましょう。
10.高野切の特徴
・行がまっすぐ。
・行間がほぼ一定。
・一首を2行書きにしている。
・わかりやすい、読みやすい字。
・字の大小があまりない。
・長い連綿はない。(文字が続いても、ほとんど2〜3文字)
これらのことが、より一層、「格調高く」「清楚」な雰囲気を醸し出しているのではないでしょうか。
11.高野切第1種
では、いよいよ、1種、2種、3種それぞれを書いてみましょう。
第1種は、直筆で、大きく筆を扱っていることで、懐の深いたっぷりとした字になっています。一字 一字が読みやすく、シンプルなので、初心者の学習に好んで使われますが、実はこれこそが上代 かなの真骨頂。真筆(本物)のもつ行間の緊張感など、再現するのは至難の業なのです。そこが、 一通り勉強された多くの上級者がまた立ち戻られる所以でもあります。 潤筆のふっくらした線、渇筆のくいこみような細い線のコントラストが非常に美しい古筆切です。 同系統の古筆に、伝藤原行成筆「大字和漢朗詠集」、伝宗尊親王筆「深窓秘抄」があります。 左は、参考臨書作品。 「は(者)る(留)た(多)てはゝなとやみ(三)らんし(志)らゆき(支)の か(可)ゝれ(礼)るえ(要)た(多)に(尓)うくひす(寸)のな(那)く」 春立てば花とや見らん白雪のかかれる枝に鶯の鳴く |
12.高野切第2種
第2種は、筆管(ひっかん)を右に倒した側筆(そくひつ)が特徴です。 右上から左下に向かう線をご覧下さい。同じ角度に太く長く引かれている直線が、随所に見られま す。うまく、似せて書けないと思われた方は、筆管(ひっかん)を右に倒して押すようにお書きになっ て下さい。これを側筆(そくひつ)と言います。個性的な書風を生み出しています。 同系統の書風に、伝紀貫之筆「桂本万葉集」などがあります。 左は参考臨書作品 は(者)な(那)のちることやわひしき(支)はるか(可)す(数)み たつた(多)の(能)やまのうくひす(春)のこゑ 花の散ることやわびしき春霞 竜田の山の鶯の声 |
13.高野切第3種
字母に比較的忠実な1種や、一定の角度に筆を動かす2種に比べて、第3種は、より自由闊達な筆 使いであることがわかります。筆者も一番若く、当時若干31歳だったそうで、新しい時代の息吹が 感じられます。1種同様、初学者の教材となることが多い古筆です。 同系統には、伝藤原行成筆「粘葉本和漢朗詠集」、伝藤原行成筆「近衛本和漢朗詠集」、伝藤原 行成筆「伊予切」、伝藤原行成筆「法輪寺切」、伝藤原行成筆「元暦校本万葉集」などがあります。 左は参考臨書作品 お(於)もへども(无)なほ(保)うとまれぬは(者)るか(可)す(須)み かゝらぬやまのあらしとおも(无)へは(者) 思へども尚うとまれぬ春霞かからね山のあらじと思へば |
14.比べてみよう
筆使いの比較をしてみましょう。
の | や | き | ゑ | 特徴 | |
第
一 種 |
直筆。懐大きく動かす。
優美。清楚。 |
||||
第
二 種 |
側筆。斜めの太い直線。
男性的。 |
||||
第 三 種 |
自由な筆使い。
次世代の息吹。 |
15.臨書のすすめ
臨書を通して、古筆の筆使いを学ぶことは、とりもなおさず創作への第1歩でもあります。例えば、音楽を勉強する方がソルフェージュをなさるように、絵を描く方がデッサンをなさるように、古筆を臨書をすることで基礎力を身につけましょう。先人のさまざまな知恵や技を知ることは、新しい作品を生み出す大きな力となるでしょう。
臨書のすすめ方は、人それぞれですが、、初めての方には、まず一首をみっちりと、そして次第に少しずつ量を増やしてゆかれるとよいと思います。最初は、細かな注意力が要りますし、手も思うように動かないかもしれません。でも、我慢して続けてゆきましょう。繰り返しの練習は、頭ではなく、手にも、いろいろなことを覚えさせてくれるものです。いつの間にか気がつくと、以前よりずっと書く事が苦でなくなっていることでしょう。そして、だんだんと臨書の楽しさ、魅力に気付いてゆくことになります。
1人で勉強できるということも、臨書の魅力の1つです。もちろん、最初は先生のご指導が不可欠ですが、臨書を進めるにしたがって、だんだんと、自分1人でも、古筆からいろいろと学び取れるようになります。何百年もの時を超えて先人たちの息遣いに耳をすましてみましょう。
16.ステップアップ
臨書から創作へと一気に階段を上りたいところではありますが、そうはなかなかいかないものです。創作の助けとして、倣書(ほうしょ)をおすすめします。倣書とは、古典から集字をするなどして、筆使いや、特徴を真似ながら、別の歌を書くことです。
下の3作品は、それぞれ、高野切1種、2種、3種の倣書作品です。
歌は、新古今和歌集から選びました。
たにかはのうちいつるなみもこえたてつうくひすさそへはるのやまかせ
谷川のうちいづる波も声立てつ鶯さそへ春の山風
第1種の倣書 | 第2種の倣書 | 第3種の倣書 |